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大阪府 富樫 紀始子
私は奉天の姉の婚家に同居していました、「関西の灘にあった家が戦災に遭遇し」。当日城内に住む満人の娘が結婚するので介添人になることを頼まれて、打ち合わせに出けました・城内で洋車でおりた時、ちょうど何処からか大声でラジオの雑音が多い異様な音声を耳にして、立ち止まり聞きました。初めて聴く天皇のお声でしたが、敗戦だと直感、近くまで来ていたのですが、乗って来た洋車に再び乗って日本人街にかえってきました。訪問予定の家に違約の詫びの電話をかけましたが、もう知れ渡っていて、日本人から電話がかかると迷惑するので、もう駆けないでくれと言われました。
先発のソ連兵が入って来て女を見ると、ダバイし始めました。夜にいると、満人の暴動があり、軍隊が其の日まで守っていた衣料、食料を我かちに老人、子供までが持ち去り、無人や女子供だけの家も狙われ障子、や畳まで持ち去られ、骨組、壁だけがのこりました。
夜に入り 暴動蜂起す 敗戦日
群馬県 松島 康子
忘れられない終戦日、主人現地応召、奉天小西区、関東軍指定皮革工場の我が家は、一瞬に谷間に落ちた、一児を抱き、日本人の妻たる信条を胸に、故国の土を踏む日をまった。
背の子へ 夏の広野の童唄
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二朗発行 )
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