2011年9月9日金曜日

終戦物語 村の婦女子は山奥に

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高知      上本 正夫

安芸兵団の召集兵としてね高知県太平洋岸の前浜村に、迫撃砲要員200名と共に穴居し、米軍の上陸作戦に備え、玉砕戦闘体制中に八月15日を詔勅により迎えう。陛下のお声は雑音にて不明,一億玉砕の至上のみことのりとし拝し兵等等しくまなじりを決する、午後一時近く、無電にて終戦を知るその後の混乱は、安芸15005部隊長命令が下る間で続く


村の婦女子は山奥ににげろ ー、部隊の血気にはやる一団は、抗戦して全滅しょうー、軍旗は焼くな、様々のみにくい情報がみだれとび、続出する自決者に釈然とする。夜に入り、迫撃砲を大平洋に向けて発射する。40発

砲放ち 狂うねがう 敗戦日  



兵庫県     大阪府   橋本 和子

兵庫県  揖保郡龍野町、兵庫県立龍野高等女学校、3年生の教室を工場にして、各自の机に万力を取り付け、ヤスリ持つ手を豆だらけにして、銃剣づくりに汗みどろでした。鍔を付ければ仕上げといぅ日に敗戦を迎えました。終戦当日12時講堂に集合した学徒は、玉音放送にて敗戦を知らされました、

工場指導員の方が、目を真赤に泣きはらし、ぼろぼろ涙を流し、出来あがらんとした銃剣を一人一人に下げ渡し、進駐軍が上陸してきてはずかし  めを受ける前に、自分で作った剣で相果て、操を守るようにいわれました。極度の緊張が脳裏を走り、悲壮な決意で下校した20年8月15日を昨日のようにはっきり覚えております。此の日を最後に出征した2人の兄は、南方方面ということだけで、いつどこで戦死したかわからないまま、現在に至っております

操守れと 汗の銃剣渡される


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引用元    「昭和万葉俳句前書集」    (高木 二朗発行 )


思っていなかった終戦最後まで、神国の勝利を信じていたのですが、時代は変わりましたが60数年前の出来ごとです、多くの人達が終戦後苦しみに耐えながら祖国の復興に尽くされた人達に感謝を忘れず語り継ぎたいと思います。

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