2011年9月21日水曜日

終戦物語 青酸かりをわたされる

中部満州  ハルビン  東京都 北村 まさよ

旧満州国 ハルビン市 なんかん 奉天街17号。私達一家五人「主人ー市立病院医師 及び私と幼児三名」はいよいよ玉砕命令を前にして「8月13日ソ連との交戦始まる」 青酸カリを渡された。子供達を風呂に入れたりしていると、間もなく重大放送があるといふので、塹壕を築いた日本軍人達も私の家に入って放送を待っていた、8月15日正午、それまで雑音のみだったラジオから鮮やかにしかも玉音放送が流れて来た、「玉砕命令」とばかしと思って聴いていると

それは終戦の詔勅であった、「忍び難き忍び*******]  皆な泣いた。外地で敗戦国民となった一家の悲劇は其の日から始まった、街にはシベリヤ行き捕虜となる日本兵達が軍衣を焼いてみ去って行き、ソ連兵が暴行をほしいままにしてハルビンは死の街と化した。主人は死亡。翌夏母子四人引き揚げ。

街かどに ひと影絶えてせみしぐれ

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