2011年9月26日月曜日

終戦物語 嗚呼日赤看護婦班

ビルマ   宮城県   平  赤絵

昭和二十年四月二十二日、トング-「ビルマ」の町空襲爆撃を受け焼野原と化す。翌二十三日早朝、敵機甲部隊突入してついに退路たたるに、嗚呼日赤看護班、炎下死の町へ疾駆、これより山中を迂回する事一ケ月余、マラリア、アメ-バ赤痢に罹り倒れし者、疲労困 の果てに自決するものありーて合掌。八月十六日に至り日本は無条件降服せりと聞く。

おののきを隠す蚊 遺火焚きいたり


ビルマ   岩手県  小山田 花水

第二十四兵站病院はビルマ国において、インパール作戦に参加、後送患者の治療輸送に従軍、戦勢不利、北方より中部に転戦中、当日敵機飛来、ビラを撒く、土民これを部隊に届く、日本語で「日本軍降伏す」と記す。病院付軍医大尉。

終戦のビラは 日本語風死せり

ビルマ  宮城県  関根 龍火

一兵士として、仏印「ベトナム」にありて、連合軍の上陸に備え、陣地構築等に従事していたが、大本営発表と現地人の噂には大変な違いがあり、真相を知らず憂慮していたが、現地人の噂が正しく、終戦の報に愕然とした。 

終戦の報に 虚脱のゴム林


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引用元  「昭和万葉俳句前書集」  【高木 二朗発行】

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