2011年9月7日水曜日

終戦物語 恨みに報いるに

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中支江蘇省    兵庫県   本多 欽一

ソ連の参戦により上海から満州へ転進途中、北上寸前に南京で終戦となる。蒋総統の「恨みにむくいるに恨みを以てせず」の寛大な計らいもあり、武装の自主解除。収容所の自力管理など、秩序ある終戦処理がでた外地戦線であった。 感謝・

出番なく 炎天に焼く乱数表






高知県    沢村 良高

当時私は上海郊外浦東の野戦病院の軍医見習士官として勤務していた、病棟は粗末な平屋立てで
。別棟には建物の管理人である中国人である老夫婦が住んでいた、彼等は我われを「先生(シーサ
ン)と呼ンだ、ある日の夕方、爆竹が方ほうでなり、その老人が「私達と日本人とは友達になった」となった言って来た、空には銀河が流れていた、複雑な気持出あった、其の翌日、病院長から終戦のことをしらされた。


爆竹の悲し 銀漢 また悲し

東京都    菊池 留雄

五、 六日前から中支鉄道の爆破が、全く発生しなくなった、さて不思議なこともあるものだと、心ひそかに懸念していた、8月15日に落雷のように、上海鉄道司令部へ敗戦のし知らせが飛びこんできた
。上海は灼けつく様な真夏の昼下がりであった。陸軍大尉として感知したことは、支那民衆の姿は、平常と変わりなく、朝鮮民衆のみがいやに、凱歌を鼓舞しているかの様であった。

ああ千鈞のおもさ 水が灼けてくる

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