2011年9月25日日曜日

終戦物語 日本に帰った喜び

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関東州   大連市   岡山県 久保田 智子

大連で女学校四年の時終戦を迎え、ソ連兵、八路軍に脅かされ、三か月半天井裏で生活しました、二十二年二月引き揚げ、佐世保に上陸、日の丸を見て、日本に帰った喜びに泣きました。船では水葬に遭遇し、あの時の汽笛は今も耳にのこります。

如月の海に葬【はぶ 】りの汽笛鳴る


大連市   埼玉県 小林 律子

終戦当時大連市聖徳街に母と子「1歳」と3人でした、その後、九死に一生の夫を交え、引き揚げまでの生活をおくる。昭和二十二年引き揚げの番がきて、祖国の土を踏む。満人の暴動。ソ連兵の略奪怖ろしい日が続きました。

泣くことも 笑ひも忘れ敗戦日


シンガポール 埼玉県  斉藤 佐

星港「昭南」に転戦のため、ピリトン島マンゲル港に上陸し、八月十六日出港、。終戦の報に接したのは、マラッカ海上、銃の菊紋章を削り、弾薬を海に投下し、バンガ島ムントへ集結。第二十五軍司令部の一兵卒であった。

夏草に 彼の日戦忘れ得ず

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引用元  『昭和万葉俳句前書集」  【高木 二朗発行】

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