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東京都 渋沢 均様
昭和18年、第1回学徒動員応召、比島から転戦して、台湾の基隆要塞司令部の見習士官として、終戦を迎えた。日盛りの衛庭に流れる詔勅のラジオは、あたかも万里の波濤を越えたる如き雑音を伴って胸にせまった。20歳の夏であった。
灼くる 身を軍帽深く 町にでる
東京都 真芝 真文様
昭和20年8月15日台湾台中市草屯飛行場に展開中。我が飛行第58戦隊も南方および中国大陸等歴戦に継ぐ歴戦にて犠牲多く、ついに三個中隊が二個中隊の戦力となり、南方飛行団台湾集結後、沖縄総攻撃の「神翔特攻隊」として戦隊全機特攻訓練の明け暮れ。数日を経ずして玉砕の身だった。感無量、嗚呼。
夏空に御わします戦友吾と咽け
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引用元 ; 「昭和万葉俳句前書集」 [高木二朗発行]
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