2011年7月17日日曜日

終戦物語 大勢のアノリカが来て私達を取り囲みました。

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宮崎県  七帖祐七様 当時16歳

終戦は福岡県田川郡、職場で陛下の放送を聞く16歳であつた,良く聞き取れずとぎれがちの声だったが、戦争は負けた何でだと腹がたつた。ほしがりません勝つまではと、耐え抜いた気持ちが空しくなった。寮も動揺が広がり無断で帰郷する様になりました。私は兄が近くにいたのでたよつて避難しました。食べ物が無くて何時も空腹だった事がきつかつた。良く仲間と畠荒らしで持ってきたカボチヤに塩を振りかけたべていました。

ある日兄貴の家に大勢のアメリカ兵が来て私達を取り囲みました、あの時は怖ろしく生きた心地はしませんでした。アメリカ兵は家の後ろが蜜柑山でしたので蜜柑を分けてくれとの様でした。兄は自分の山で無いまだ小さいと手ぶり話ましたが、通じる分けはありませんでした。後日仕事先から賃金が送られて来ました。当時としては多額であつたので父が喜んでくれた事がおもいだされます。

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街で拝聴しょうと思っていたので街にでた-----人々粛然と頭をさげ 一瞬 街は静かな事***玉音は心に染み渡り ゜「抜粋一億人の昭和史」より
引用元ー「私の終戦」 「長谷敏通著」

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